クセじゃなくて病気だった? ゴミ屋敷の原因にもなる「溜め込み症」

 

オールアバウト / 2017年9月12日 17時45分

 

 

 

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ゴミを極度に溜め込んでしまうクセは「溜め込み症」と呼ばれる病気であることが分かってきました。溜め込み症を生み出す3つの要因と治療法を紹介します。

 

 

世間でもよく話題になる ゴミ屋敷。ゴミを極度に溜め込んでしまうクセは「溜め込み症(ホーダー)」と呼ばれる病気であることが分かってきました。溜め込み症は、『精神障害の診断と統計マニュアル(DSM-5)』にて初めて精神疾患であると定義されました。ここでは、この溜め込み症の治療について考えていきます。

 

 

 

「溜め込み症」を引き起こす3つの要因

溜め込み症の研究では、3つの要因が関わっていることが分かっています。

 

□収集する

健常な人は必要な物だけを買い、不必要なものは買わないと判断することができます。一方、溜め込み症の人は、「必要かどうかを考える過程」に何らかの障害があり、不必要なものでも購入したり、拾ってきてしまうことが分かっています。その結果、家にさまざまなものが集まっていくことになります。 

 

□捨てられない 

ものを集めてきても、「捨てる」ことができれば、ゴミ屋敷になることはありません。健常な人は「必要のないものを捨てる」ことができるのです。一方、溜め込み症の人はそれができません。

 

溜め込み症の人がものを捨てられない理由は、3つに分類できることが分かっています。1つめは「感情的なつながり」です。例えば、自分宛ての請求書が入った封筒に対して愛着が湧いてしまい、捨てることにとても苦痛を感じてしまうのです。2つめは「何かの役に立ちそうな気がする」です。例えば、壊れて使い物にならなくなった冷蔵庫でも、何かの役に立ちそうな気がして捨てることができないのです。3つめは「偏った個人的な好み」です。例えば、ペットボトルの蓋など、あまり多くの人が集めたいと思えないものが好みの対象になります。 

 

□整理できない

これまでの症状があったとしても、それだけではコレクター(収集家)と言われるかもしれません。しかし、溜め込み症の人は「集めたものを整理できない」という特徴を持っています。そのため、がらくた・ゴミが散乱した家になってしまうのです。

 

 

溜め込み症の治療は難しい?

溜め込み症を治療する上では、次のような問題が指摘されています。

 

・自分が病気であることを否定する

・がらくた・ゴミがたまっているという認識がない

・治療に対して防衛的になる

 

これらの問題点を解決しなければ、治療を始めることができません。ゴミ屋敷の本人の意志を無視してゴミを撤去しても、治療したことにはならないのです。根本的な解決のためには、ゴミ屋敷の本人の話をきいて共感することから始めていきます。その中で「人生において価値を置いているものについて」たずねていきます。

 

例えば、もっと楽しく過ごしたい、友達と遊びたいなどの話が出てくれば、「家が片付いたら、友達が遊びにくるかもしれませんね」のように話を進めていきます。このように共感しながら、がらくたやゴミについて少しずつ言及していくのです。

 

 

溜め込み症に対する心理療法

溜め込み症の治療には認知行動療法と呼ばれる心理療法が用いられます。認知行動療法では、溜め込み症の3つの要因に対して、それぞれに対策を立てて治療していきます。

 

□収集する

これは、本人と一緒に町中を散策しながら治療を行います。溜め込み症の人は、散策中でもさまざまなものに注目して、拾って帰りたくなる衝動に駆られます。その際に、治療者が「本当に必要なものなのか?」などのように問いかけていきます。この練習を通して、必要なものなのかを考える習慣と、必要のないものは拾わない習慣を身につけます。

 

□捨てられない

溜め込み症の人は、ものを捨てる際に感情的な苦痛が伴うために捨てられません。そのため、捨てる際の感情的な苦痛に慣れてもらうために、がらくた・ゴミを実際に捨ててもらう練習をします。この練習の最も大切な点は、溜め込み症の本人が捨てることです。たくさんの苦痛を経験することで、がらくた・ゴミを捨てることへの苦痛が緩和されるのです。

 

□整理できない

この症状に対しては「捨てるものをしっかり定義する」という方法をとります。例えば、10年間使っていないものや、2つあるものは捨てる。自分に合わない服や装飾品は、捨てるなどのルールを一緒に決め、整理する練習を行います。

 

 

まとめ

日本では、まだ溜め込み症が病気であるという認識が広まっていません。単に物珍しいという理由だけで、ゴミ屋敷が取り上げられています。今後は、心の病気であり、治療する方法があるのだという認識に変わっていくことを願っています。(文:矢野 宏之)